2008年9月15日 (月)

星野之宣SF作品集成1 CONTINENT 『バトルブルー』復刊!!

中学校の時に読んだSFマンガ『ブルーシティ』(少年ジャンプに連載というのも今考えるとすごいことである)。星野之宣の手になるこの作品は、日本のSFマンガ史上に残る金字塔とも言うべきものであった。

石森・手塚らが描いてきたヒーロー物の枠組みから始めて脱却し、ハードな世界観とリアリティのあるドラマとして「世界の終末と再生」を描きだそうとした作品である。

今読むと稚拙な部分もあるが(星野にとって実質的な処女作と言っていい作品だ)、SFマンガの本質的な嚆矢として価値は下がっていない。意味合い的には、アニメの中での、ロボットアニメの枠組みから脱却した最初の作品である「ガンダム」に似た存在といえると思う。

さて、その衝撃の作品『ブルーシティ』には続編がある。「ヤングジャンプ」にわずか3回連載された『バトルブルー』である。大学生になっていたが、この連載開始には歓喜したものだ。ただし、どういう事情かすぐに連載が終わってしまい、尻切れトンボのまま終了。そもそもこの3回分の作品すら、単行本にも入らず、長く「幻の作品」となっていた。ちなみに、復刊ドットコムでのリクエストが高いところを見ると、自分と同じ気持ちのファンが一定数いたのだと思う。

それが、表題のような形で急に刊行された。一説には星野自身が『バトルブルー』のできに納得しておらず、連載再開はもとより、ヤングジャンプ版の単行本収録まで拒否していると伝えられていただけに、今回の収録は快挙であろう。関係各位の努力に深く感謝したい。

さて、本当に久しぶりに再読したが、まったく古びていないのに驚いた。画力はある意味で星野の作品の中ではピーク時のものと言っていいのではないだろうか。キャラとメカをともに描ける稀有なSFマンガ家としての星野の力量が十分に発揮されている。
ストーリーのほうは、やはり、ほんのプロローグである。海中都市ブルーシティーを放棄して水棲人帝国と戦うための海中要塞「バトルブルー」に主人公たちが乗り込み、新たな戦いの予感で終わる、という形。随所に、楽しみな描写があふれており(とくに、主人公の周りの女性たちがそれぞれ魅力的に成長している点、バトルブルー自体のメカニックとしての活躍の期待など)改めて、続編の執筆への渇望が出てきた。

さて、このシリーズについては、あとがきで星野自身が「なぜ人気があるのかわからない」と語っている。これについては、作者だからこそわからないのだろうか。理由は簡単である。本シリーズだけが、星野のSF作品中唯一「少年」を扱っているからだ。少年の成長というビルディングスロマン的内容をSFの壮大な設定とともに描く、これはある種の人々(自分のような)には最良の作品ジャンルとなるのである。いわゆる「ジュブナイルSF」である。『ガンダム』も実は同じである。
アニメがそうであるように、実はSFも「未成熟さ」が特徴であり魅力的なジャンルであり、その特性が一番よく現れるのが「ジュブナイルSF」ではないかと思うのだ。
(ちなみに、同じことを、石森がマンガ全般について語っている。この件は別項で)

日本が生んだジュブナイルSFの傑作、「ブルーシティ・バトルブルー」のさらなる展開に心から期待したい。

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2005年9月19日 (月)

富野以外の「ガンダム」の可能性

 本当に遅ればせながら『ガンダムSEED』を最後まで観た。続編の「デスティニー」が最終回を迎えようという時期に困ったものである。
 2年前の本放送時にも最初のほうをチラチラ観ていて、なかなか質が高い、ということと、「新しいスタッフで作ることで、ファーストガンダムへの過剰な意識がないのがプラスに働いている」と思っていた。後者については、つまり「既成人類と新人類の戦い」「敵に覆面の士官がいる」「前半のクライマックスは大気圏突入」とか、大設定、小設定、小物にいたるまで、ファーストガンダムの「いいとこどり」をてらいなくやっているなあ、と思ったのである。なまじ富野さん自身が続編を手がけると、自分の旧作に「似せないように」という意識で、どうしても変格っぽい作りになってしまっていたのと好対照だと思ったのである。新しい、しかも若いスタッフが「ガンダム」を手がけることで、いいところはいいところとして取り入れる作り方が可能になった。さらに言うと、「ウルトラマン」や「ライダー」と同じように、「ガンダム」がひとつジャンルとして延々と受けつがけれいくものになったのだなあ、と思った次第。

 ただ、今回見直してみて、改めて思ったのは、要するに自分がこういうものが好きなんだ、ということだった。敵がいて味方がいる「戦争」という大状況、そして巻き込まれた少年少女、恋のさやあてから、敵味方を超えた友情、仲間とのつらい別れ、そして人類自身の未来をかけた戦い。子供のころからジュブナイルSFを読み続けてきた自分にとって、「ガンダム的ワールド」が実はあらゆる理屈を超えて一番しっくりとくる世界だということを再認識した。

 最後まで観てのひとつの感想は、「敵・味方」という二元論を主人公たちが自分たちの力で変えていこう、と志すところに「新世代」の作品という気が非常にした。富野さんの「ガンダム」や「イデオン」が、結局は「大状況は少年のがんばり程度では何も変わらない」という諦念で貫かれているのと好対照である。
 ただ、もちろんそんな大それたテーマに挑んだため、終盤の物語構成が破綻しまくっているのは仕方ないのかもしれない。中盤までの「敵・味方」がはっきりしている中での戦いと苦悩、が延々描かれた物語のほうがリアルであり、より楽しめた。
 結果として、あれだけ思わせぶりに出していた「フレイ」(とことんイヤな女の子キャラとして珍しいパターンだったのに)というキャラが、結局扱いきれずに殺してしまったりする残念な終わり方になっている。

 そういったことも含めて、積み残したテーマは「デスティニー」で描かれているのであろう、と期待して、機会があればそちらも見てみたい。

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2004年4月 9日 (金)

新作を期待したい~『銀河英雄伝説 アニメ版』

ケーブルテレビ等でつまみ食い的に観てはいたが、この春からCS「キッズステーション」で放送が始まったのを機に「銀河英雄伝説」のオリジナルビデオ版を1話から通して観てみることにした。

このシリーズは、コケの一念というか、あの長大な原作をとにかく頭からお尻まで完全にアニメ化したというもの。というか、「全部やった」というのがほとんど唯一の価値というような作品である。
アニメとしての評判は芳しくなく、この間断続的に観た範囲では、評価できるような要素は何一つなかった。

ただ、最初のほうは、「ミンキーモモ」や「ゴーショーグン」で有名なシナリオライター・首藤剛志さんが書いており、なんとなくそれだけは観る価値があるのではないか、と思っていたのである。

で、ようやく1話から順に観る機会を得たわけだ。まだ、3話までだが、予想通り、シナリオはさすがに及第点。ただし、アニメーション的には見るものなし、というのが現状の評価である。

たとえば、1話については、原作ではヤンとラインハルトは事前には互いの存在を知らないはずなのだが、そこを微妙にいじっている。「このままなら、大勝利だ。しかし、敵に『あの男』がいたらわからない」とか、「敵の大将がヤッコさんだとすると、簡単にはいかないぞ」みたいな、互いを意識しているセリフを両方に言わせることで、二人のライバル関係を最初からフィーチャーするようにしている。

また、3話での慰霊祭のシーンでは、原作ではヤンは出席した上で起立しないで軍部の不興を買う、という構造だったが、アニメでは、そもそも仮病を使って欠席してテレビで見ているという形にしている。そのことで、ジェシカがトリューニヒトに抗議する光景を見て、「ジェシカが危ない」と、クルマを駆って救援に向かう、というシーンを作っている。

そもそも、2巻目からの登場だったヤンの後輩アッテンボローを冒頭から出し、ヤンとの会話で心情や状況の説明をさせる、など、人の出し入れにも非常に工夫をしている。

動きが少なくたんたんとした原作を何とかドラマとして見やすくしよう、という工夫が随所に感じられ、「傑作」のアニメ化(のシナリオ)としては、よくがんばっていると思えた。
問題は、これだけ工夫をしていた首藤さんが何があったのか途中から降板させられてしまった点。ある時点からがくっとシナリオのレベルが下がり、ほとんど原作を引き写しただけのものになってしまっている(らしい)。

アニメーション的には本当に見るべきものがない。キャラクターは魅力がないし、背景は手抜き、そもそも動いていない紙芝居的アニメーション。予算がないんだなあ、というのが露骨にわかる感じ。

それはともかく、ひとつ痛感したのが艦隊戦の情けなさである。そもそも原作からして、3次元の宇宙空間をあたかも地上の戦車戦のような見立てで描くことで何とかごまかしているのに、絵になってしまうとそもそもの無理が露呈する感じしかない。
ただ、じゃあどうすればよいのかというイメージは思いつけない。考えてみると、アニメでは実はちゃんとした宇宙での艦隊戦は描かれたことがないのではないか、ということも思った。単艦の戦いならごまかせるのだろうが(『ヤマト』とか)、艦隊同士だとかなり難しいハードルがある。演出をかなり工夫しないと、ひどく退屈なものになりそうである(というかこのアニメ版はまさにそうなっている)。

とにかく、今や歴史に残る日本SFの至宝ともいえる原作である。このアニメ版が出来てからずいぶん時間がたったことだし、ぜひ今の技術で再アニメ化を期待したいところだ。その場合は、「原作どおりにやるのが誠意ではない」ということを踏まえて、大胆かつ細心にとりくんでほしいものだと思う。

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2004年2月17日 (火)

突然変異的によかった「プラネテス」13話

前に、非常に否定的に書いてしまった「プラネテス」だが、新年早々の13話(1/10放送)「ロケットのある風景」は劇的に内容がよくなっていて感心したというか、びっくりした。

「ToyBoxが壊れたため、地球の実家へ里帰りすることになったハチマキ。同じく地球へ帰るユーリとタナベもハチマキの実家にやって来る。ハチマキの母・ハルコに迎えられ居間でくつろぐ一行。そこへハチマキの弟・九太郎の作ったロケットが突っ込んできた。ロケット作りに励む九太郎にユーリは声をかけるのだが…」(公式ホームページより引用)

基本的には原作どおりの話である。ただ、原作ではユーリと九太郎の心のふれあい。そして、ユーリが自分の過去を振り切るまでを追う、という話だったと思うが、アニメ版では、さらに「久しぶりに会った地元の友達から恋人同士と誤解される」ハチマキとタナベ、というありがちなエピソードを挿入。この二つの異なる流れを切り返しながら描くことで、大きな事件がない日常のエピソードでありながら、単調になることを避けている。
そして、過去を振り切ったユーリと新しい関係に向かいつつあるハチマキとタナベがまた宇宙に飛び立っていく、それを祝福するかのように、また「俺も後を追うぞ」といわんばかりの意志を込めた九太郎のロケットが打ちあがる。スペースシャトル?からそのロケットを見つめる3人というラストシーンまで、20分のテレビサイズとは思えないような凝縮された見事な内容だった。

やることがないのか、月で忍者が大活躍、といった噴飯もののエピソードを作っていたのと同じスタッフとは思えないような出来である。シナリオはいつもの人なので、そのへんは不思議なのだが、絵コンテが新しい人だったのが何かいい効果を生んだのだろうか。

しかし、これでやっと本線に戻って盛り上がっていくのか、と期待したところ、次の話では、またまた以前のスチャラカ調のストーリー・演出に戻ってしまっていて、がっかりした。
15話以降はまだ観ていないのだが、何とか13話で見せた「格調」を取り入れて、軌道修正してほしいものだと切に願う次第である。
とにかく、今放送中のアニメの中では、本格SFの可能性がある一番手なのだから。

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2003年10月 5日 (日)

「傑作」の映像化は難しい……「プラネテス」のアニメ第一話を見て

昨日、NHK衛星第二の新番組「プラネテス」の放送が始まった。久しぶりの「本格SF」アニメ(の匂い)の登場ということで、かなり期待して見た。

感想は、「???」である。ある友人が「まるで『パトレイバー』みたいで失望しました」と語っていたが、確かにその通り。「宇宙開発」と「警察」というそれぞれなじみのない素材を扱う場合に、それを「会社」組織に置き換え、「新人OLの奮戦記」として描く、という実に似た手法をとっている。考えてみれば、確かテレビ版のパトレイバーは同じサンライズ制作だったような気がする。

結果としてどうなっているか、というなら「人はなぜ宇宙を目指すのか」という大命題を哲学的とも言うべき真摯なアプローチで描いた原作の「香り」は、アニメ版には(少なくとも1話には)かけらもなかった。「パトレイバー」というよりは、「研修医ななこ」あたりのほうが雰囲気が近いかもしれない。

で、思い出すのが「レンズマン」のアニメ版である。新訳版「ファーストレンズマン」のあとがきで、堺さんが実に見事に書いているが(余談だが、アニメ版レンズマンは、なぜか別のアメコミ『グリーンランタン』の要素で作っている、という分析には感心した。このあとがきだけでも、新訳版を買う価値はありますぜ)、アニメ版の最大の問題は、「選りすぐられたエリートがレンズマン」という設定を「偶然レンズを入手したただの少年がレンズマンになる」という正反対の設定に「大改悪」していることである。
当時から、本当に義憤にかられていたのだが、考えてみれば、あれはあれで、なじみのない世界を一般の観客にわかりやすくするための作り手の精一杯の努力の現れだったのかもしれない。

そういう意味では、今回の「プラネテス」も同じなのだろう。原作の通りでは、SFに興味のない視聴者にはとっつきにくいという判断から、善意での改悪(まだ断言できないが)を施したという。

それにしても、よくできた原作の映像化は本当に難しい。じゃあ、「プラネテス」が原作の通りやっていたら、どう思ったか。「なんだ、原作と同じじゃん」とかえって批判の対象になったかもしれない。
「銀河英雄伝説」とか「タッチ」の映画第一弾とかいろいろな例を思い出しながら、非常に悩んでしまった。

成功例としては、「うる星やつら」だろうか。原作が名作で、アニメは原作から大きく逸脱したにもかかわらず、それはそれで傑作として歴史にも残った。

「うる星」も放送開始当初は不調だったことを思い出すと、とにかくこの「プラネテス」も、もう少し様子を見てみよう、と思っている。

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